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あんきゅう塾ヒストリア① わたしの不登校のお話

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こんにちは

北九州市小倉南区の個人学習塾「あんきゅう塾」です。あんきゅう塾では、不登校、発達障害のご相談も承っております。と書いておりますが、本当にデリケートな問題でありますので、私のことからお話ししていこうと思います。

私の不登校・・・・と申しましても、もう30年以上昔の話ですが。

進学校に進み、なにもかも順調にすすんでおりました。

いたってまじめで、負けず嫌いであった私は、とにかく進学校でも中学と同じくらいの成績をおさめようと、必死でした。

いま、考えると、まったく問題のない成績でした。10位以内に入っていても、とにかく「負けたくない、1位がとりたい」とそれに固執しすぎてしまったことは否めません。それでいて、課外活動などもめいっぱいやりたい高校生でしたので、毎日が真剣勝負すぎたのでしょう・・・。

ただ、これだけが原因であるとはおもいません。伝統を重んじる先生方とぶつかったり、既存の体制に反発したり。未完成の成長期の過程において、精神的なバランスを崩し、ある日、ぷつっと糸が切れ、スイッチを切られたかのように閉じ込めらた壁の中で動けなくなってしまいました。

通学中のバスの中では涙があふれ、途中下車。家に帰る、なんてことはざらで、ちょうど帰ると、朝のドラマがあっていたので、その時期のドラマの筋は全部わかるくらいでした。

家にいることには罪悪感もあり、口うるさい親戚が来たりすると二階に引きこもったり・・・。人には会いたくなかったですね。いろいろ言われるのも嫌でしたし、それまでは中途半端になんでもうまくこなせていましたので、落ちぶれた自分を見られるのがいやだという変なプライドがありました。

また、そのころは、早退は好んでしていましたが、遅刻は嫌いでした。いやなことは先に済ませるタイプと言いましょうか。これもほめられたことでありません。頭のどこかで、学校をやめてはいけない、と思っていたのか、遅刻がかさなる時間の単位を気にはしていましたので、少し前まで、体育で体操服をわすれて授業に出られなくなり、焦る夢を見ていました。

一方で、学校をやめたい、と真剣に考えている自分もいました。

幸い、私の場合は、母が非常に不登校に協力的?で、理解をしめしてくれていました。30年前という、まだまだ「登校拒否」という言葉が使われていた時代に、あたたかく見守ってくれていました。

学校を休むことに対しては、おおらかにうけとめてくれていましたが、学校をやめることに関しては、ずっと反対姿勢でした。やめることに対して反対、というよりも、そのときの「私」が学校をやめるということに反対していたと思います。そのころは、とにかく人と関わりたくないので、どこか遠くに行って働きたい、とか離島に行きたい、なんてことを口にしており、そんないい加減な心持では、その先、出会った方々に対して失礼だから、いま、学校をやめたところで、なにもできないよ、と言われていました。頭でっかちで、口先だけの高校生は頭をがつんとやられたような、それでいて、私のことを誰もわかってくれない、と日々、鬱々としておりました。

そのうち、すこしずつ、いろいろな自分を受け入れられるようになり、たがを緩めることもできてきたような。

なんとか学校を卒業できました。いろんな方の支えがあったからこそで、母には本当に感謝しています。私の場合は一過性の不登校であったのでしょう。あの経験があったからこそ、今、子どもたちにいろいろな話を受け止めることもでき、また私から話すこともできるとも思います。こころの風邪はひきやすい体質の人がいることは確かで、私もそういう意味では、虚弱体質だったのでしょう。

あのとき、学校とは違う場所で、自分を理解してくれて、学習面、精神面でもサポートしてくれる場所があってくれたなら、という思いの中に「あんきゅう塾」の原点があり、そしてここまで続けられたものだと感じます。

かかわった子供たちのこと、そして、障害に関しての私なりの思いを、また少しずつ「あんきゅう塾ヒストリア」でご紹介できればと思います。

長くなりましたが、読んでいただきましてありがとうございました。

 

 

 

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